管理人のブラジル回想記
No13
ホテル・カラベラスの庭から、運河と道路を見る。
運河というか、水路。canal1からcanal7まで、7つの水路がサントス市内を流れていた。
canal1に、花屋があった。
何故かKOBAYASHIという看板。
日系人の経営?と思ったら、小林さんは移民1世。思いっきり日本人だった。
14歳の時にブラジルに来たという。
梅干し、らっきょう、1ヶ月だけのブラジルなのに、「寂しいだろう」と小林さんは微笑みながら手渡してくれた。
練習の合間や暇なときは、小林さんの花屋か、隣のパン屋に行くことが多かった。
パン屋は、いつも昼間から男の人がビールを飲んでいたり。
オマエら、仕事しろよ…と思ったが、それがいかにもブラジルらしい。
酔っぱらいオヤジの、『俺の息子が、サントスFCに入ったんだ…』というような、簡単な自慢話が理解できるぐらいに、ポルトガル語も辞書を片手に話せるようになってきた。
パン屋では、おばさんがウインクしてコーヒーとパンの代金をおまけしてくれたりするようになっていた。
ある日、小林さんが忙しそうに言った。
明日は母の日だからね。クリスマスの次に忙しいんだよ…。
ブラジルでは、母の日が重要なイベント。
家族の絆…日本の戦後はこういう感じだったのかな?と考えたのを覚えている。
安かったけれども、花をホテルのチアに買っていった。
チアは本当の息子のように喜んでくれた…。
日本への帰国が近づいていた。
続く