管理人のブラジル回想記

No19

 

毎日走り込んだ。

体重は6kgほど絞り込んだ。

 

留学ヴィザが下りた。

2回目のブラジル行きとなる。

1995年9月5日。遂に出発だ。

 

前回は、全く右も左もわからない中、基本的に一人でブラジルへ行った。

今回は、他に7名ほどの日本人が一緒だった。

 

僕の頭の中には期待しかなかった。

期間は1年。

ヴィザ申請の際、申請書に書かれていたチーム名はジャバクアラAC。

またサントス市内へ行ける…そう考えていた。

 

23時間の旅も、今回は慣れたもの。

ロスアンゼルスでのトランジットの際に食べるおにぎり等は、コンビニで購入し、忍ばせていた。

 

到着したグァルーリョス空港は、15℃だったと記憶している。

残暑の日本から、南半球、ブラジル、サンパウロ。

夜明けに到着する飛行機の中は、まるでタイムマシンのよう。

朝になったらサンパウロなのだから。

 

空港には、前回お世話になったジョルジさんの兄、ケンジ・清原さんが迎えに来ていた。

僕はそのままサントスに向かうのか…?と思っていたのだが、

『ミナスのユーラカンに向かいます…』

耳を疑った…。

 

4時間、コンビと呼ばれるワンボックスカーに揺られ、ミナス・ジェライス州のイタジュバ市、ユーラカンFCに到着した。

港町サントスと違い、本当の山の中の小さな街。

 

ここから一波乱、二波乱…。

 

続く