管理人のブラジル回想記
No2
『日本にはフッチボウ・デ・サロンないの?』
セイジのひと言は強烈だった。
そうだ!体育館を借りればいいんだ!
フリーターの身は気楽だった。
自転車を市役所に走らせ、体育館の使用を確認する。
山梨小学校体育館。
現在はフットサルでの利用は出来ないが、僕の中では思い出深い体育館である。
毎週火曜日、7時から9時。
セイジ、ヒロイシ、シャンジ、ジーバ。
4人のブラジル人はすぐに来てくれた。
特にヒロイシとジーバはフッチボウ気違いだった。
ヒロイシの個人技は、僕のフットサルのプレースタイルにも影響を与えた。
そして、友人の紹介により、土曜の夜、同じ四街道市内の吉岡小学校の体育館でもボールを蹴っているという情報を得る。
fantasmaFUTSAL創設の際にお世話になった柴田信氏にここで出会うことになる。
サッカーの為にフットサルがあった。
ブラジル人の与えてくれたもの…本当に大きかった。
ポルトガル語の悪口、スラングを学んだり、この頃初めて、ブラジル料理を食べたり。
しかし、1995年1月17日の阪神大震災。
これを境に、ブラジル人達の仕事が忙しくなり、一緒にボールを蹴る機会ががくんと減る。
ストップしていたブラジル行きを早く実現させなくては…。
焦りが無いといえば嘘になった。
続く