管理人のブラジル回想記
No29
サントスを後にして、サンパウロ市近郊にさしかかるあたりで、僕は眠っていた。
途中、夕食のために車が止まる。
夕方に出発したから、当然夜になっていた。
そして、サントスを出発して4時間弱、サンジョゼ・ドス・カンポス市に到着した。
サンパウロ州の公認審判員であるジョンと初対面。
彼がこれから世話役だという。
とりあえず自分たちが泊まるペンションへ。
ペンションと言えば聞こえがいいが、長期滞在用の安宿である。
ここがとにかくひどかった…。
ルームメイトがいるというのだが、ペンションのおばさんは「ジャポネーズだ」という。
いざ部屋に行くと、その彼は中国系のブラジル人、シェンギだった。
彼は大学生。後から知ったのだが、サンジョゼは、世界的にも通用する技術をいくつも開発した工業都市。このシェンギも、その勉強に来ていると言っていたと思う。
カビくさい部屋。
部屋に窓はなく、非常に不健康。
病気になるなぁ…と本気で思った。
これで金取ってるんだ…と思うと、現実の厳しさを改めて知った。
朝起きると…堅いパンとコーヒーの入ったポットが置いてあった。
これが朝食か…今までの環境が恵まれすぎていたんだ…。
ジョンが迎えに来た。
サンジョゼに向かうと、されに厳しい現実が。
練習はエスコリーニャ(小さい学校という意味。ここではサッカースクールを指す)と一緒。
練習のない午前中は、筋トレに通えということ。
その、エスコリーニャで、ちょっとした事件があった。
選手はみんな15歳以下…要するに子供。
当時だって僕は20歳。本気でプッツンしてしまった。
グランドの隅に座っていた僕に、大量の蟻を持ってきたクソガキども…。
『sai!fora!(外へ出ろ!ここではあっち行け!)』とんでもないでかい声で叫んだのを覚えている。
クソガキどもの表情が一変した。
明らかに僕に怯えてしまった。
その後の紅白戦。
僕は走らなかった。
ボールが来たら隣の選手に預けるだけ。
コーチのシレーノはかなり太った人。大袈裟ではなく、体重が150kgくらいあったのではないか?
彼に僕は、『何でここで練習しなくてはいけないんだ…』と訴えても、答えは返ってこなかった。
例のペンションに帰り、日本とサンパウロに電話をした。
玉木さんの奥さんに本気で怒られた。
『どういうところにいるのかはわからないけど、こちらの誰かがそこに行くまでは我慢しなさい』
いつもは残さないはずの食事。
気がついたら半分以上残して、ふて寝していた。
続く