管理人のブラジル回想記
No30
バスに乗って通う毎日。
同じ日本人のMは、練習嫌いだし、とんでもなくわがまま。
僕も自分でわがままだと思うが、彼は同い年とは思えないほどだった。
お世辞にもサッカーが上手いとは言えなかったし、ブラジル人からも、彼は笑いのネタにされていた。
バス停まで行って、『腹が痛いから帰る』と言って宿舎に帰ったり、サントスのホテル・カラベラスでは、部屋の鍵を破壊し、部屋に閉じこめられたとき、逆ギレしていた。
そのときは2階の部屋だったので、僕がトイレットペーパーを下に投げ、お手伝いの女の子が気づき助かった。
おかげで朝食を食べ損なった。
もう一人のOは、真面目だけれど、おとなしさで損をするタイプ。
17歳という年齢を考えれば仕方がなかったのだろう。
ポルトガル語が少々できる僕は、どうしてもブラジル人からも色々聞かれることが多かった。
今となっては、これもポルトガル語を覚えるには都合が良かった。
さて、サンジョゼでの練習に関して。
エスコリーニャの練習は、たまたま雨で休みだったりで、筋トレに通っていた。
そんな中、玉木さんがペンションを訪れた。
(日本へ帰ってから玉木さんに伺ったのだが、玉木さんはこのペンションの状況を、この時初めて知ったとらしい。これではサッカーに専念できないと、すぐ家を移すことを考えたという)
『ここを出て、違うところに住まわせるからな』
その際、僕は事情を話した。
現時点でのベストは、前にいた、イタジュバのユーラカンへ戻ることだろう。
とりあえず、そのペンションを出て、サンジョゼ郊外のシーダさんという方の家に向かった。
シーダさんは日系3世のおばさん。
日本語はほとんどわからない。
時折日本語の単語が出てくるが、会話はできない。
ポルトガル語でのコミュニケーションは、苦ではなかった。
ジョンとジョンの息子のアレックスに誘われ、フットサルをしに行ったのもこの頃。
公園のアスファルトの上にフットサルコートが書かれていた。
ゴールも置かれ、自由にボールが蹴れる。
この時、僕はちょっとした英雄になれた。
ある程度小技ができるので、外野も含め盛り上がってくれた。
ヒールリフトとシャペウを決めたことで、握手攻めにあった…。
しかし、この時にどうしても敵わない奴がいた。
名前をエバイールといった。
今思えば、何処かのチームでフットサルをしていた選手。
ベッキの位置で、ボールを扱うのだが、非常に上手かった。
ディフェンス能力も高く、こういう奴もいるんだな…と思った。
この時は、フットサルに興味は無かったんだけれども…今思えば、サンジョゼはASSENのある街。
フットサルでも学ぶことはあったなと後悔はある。
シーダ家には2泊のみ。
僕はサンジョゼを後にして、ユーラカンへ戻ることになった。
ユーラカンに戻ることも本意ではない。
しかし、試合に出ることや、アマチュアとはいえ自分と同じか、年上の選手とプレーすることのほうが重要だと考えた。
サンジョゼを出たのは10月24日。
サントスを出たのが10月16日だから、たった1週間ほどの滞在だった。
続く