管理人のブラジル回想記

 

No32

 

ある意味恩人のエレーノに再開した。

彼はユーラカンで選手として復帰していた。

 

プレースタイルはジーコにそっくり。

タイミングを外したループシュートは、僕の印象に残っている。

ブラジルに行く前に影響された高橋さんのプレーと、エレーノのループ。

僕のイメージとして、そういうゴールがベストゴールなのかもしれない。

 

エレーノの自主練に僕は良く引っ張り出された。

基本練習とフィジカルが主だったけれど、本当に勉強になった。

一緒に走ると、彼のプロ生活の話や、プロ意識の話になる…。

試合に出てなんぼ。

プロは足で稼ぐんだ…。

今はサッカーが本業じゃないけれど、彼はサッカーが好きだ…。

パン屋で働き、合間に練習。

今の日本のフットサル選手、彼らがエレーノのような意識でプレーできるだろうか?

 

そんな時、元サンパウロFCのコーチだったトニーニョがユーラカンを訪れた。

日本人の指導を無償で買って出てくれた。

 

彼の練習は、僕的には面白くなかった。

でも、こういう練習もあるんだなと思っていた。

基本的な走るフォームの矯正だったり、ウォームアップの時間が練習の半分ぐらいの時間を占める。

昼前に練習を終えると、自主練を禁止した。

『将来皮膚ガンになるぞ…』

その他、団体行動に関してのイロハを教えようとしていた。

門限は何故守らないといけないのか?

チームとは何なのか?

どちらかと言えば、彼からはそういうものを学んだと思っている。

 

さて、一つの転機が訪れた。

そのとき、クラブには6人の日本人がいた。

圧倒的に中盤の選手が多かった。

僕はユーラカンに留まるつもりはなかった。

そのためには試合にたくさん出たいと考えた。

 

ある日の紅白戦の後、ルイジーニョに訴えた。

『ラテラウでプレーしたい』

ラテラウ…サイドバックへのコンバートの志願だった。

 

続く