管理人のブラジル回想記

 

No37

1995年11月28日。

朝起きてテレビをつける。

どこのクラブへ行っても、僕が一番早く起きて、テレビをつける習慣になっていた。

 

不思議な光景…画面には『ESTADIO NACIONAL』と表記してあった。

東京、国立競技場だった。

観衆も日本人。

 

トヨタカップ、グレミオ対アヤックスの放送である。

日本時間は夜の7時。

ブラジル時間はサマータイム実施中で、朝8時だったかな?

で、監督はルイス・フェリッピ。

実はこの年の3月に、僕は同じ東京の国立競技場で、グレミオを見ていた。

選手はほとんど同じ。

金髪のパウロ・ヌーネスに注目していた。

※余談ですが、パウロ・ヌーネスのフェイントは、今でも真似して使っています…。

 

前半を見終わって、後ろを見ると、知らない奴らがたくさんいた!

クラブの壁の塗装に来ていた連中だった。

会長のアマウリーも一緒にテレビを見る。

仕事をしない連中に注意もしない。

仕事もしないでサッカーに夢中、会長も黙認。いかにもブラジルらしい。

後半、延長戦、PK戦とフルコースの末、アヤックスが勝った。

ブラジルのグレミオは負けてしまったわけだが、ここイタジュバのあるミナス・ジェライス州では、ブラジルの南端、ヒオ・グランデ・ド・スウ州のグレミオは人気がない。

だから負けたところで落胆もないわけだ。

『ああ…終わっちゃった…』とばかりに仕事へ戻っていった。

 

11月30日

日本への一時帰国の日がやってきた。

またホドビアーリアには会長のアマウリーが送ってくれた。

『またユーラカンへ来いよ』

そう言われ、僕と愛媛から来た内藤、東京から来ていた中村と、ルームメイトだったアレックスの4人でバスに乗った。

 

少々眠ってしまい、一度起きたらサンジョゼだった。

苦い思い出の街…。

 

バスは休憩の後、サンパウロへ。

サンパウロへ着くと、玉木さんが待っていた。

玉木さんのお宅にお邪魔し、日本食の昼食。

リベルダージで買い物…。

 

悔しい。

屈辱感がこみ上げてくる…。

 

夕食も玉木さんにごちそうになり、グァルーリョス空港へ。

またブラジルへ戻るまで…日本では走り込まないと…練習しないと…。

玉木さんの車の中で、ずーっと考えていた。

 

飛行機の離陸時間は2時間遅れた。

待合室には、ジーコの通訳、鈴木さんや元ジェフ、元アルビレックスの監督、永井良和さんがいた。

同じ飛行機だろうけど、話しかけたりする気にはなれなかったのを覚えている。

 

改めて屈辱感を背負ったまま…飛行機に乗り込んだ。

 

続く