管理人のブラジル回想記

No39

 

日本での走り込みや練習の後の楽しみは、専ら、コンビニで買う温かい飲み物。

一緒に練習につきあってくれた高校生と立ち寄る。

レジの女の子が可愛いとか、くだらないことを話す。

そんな時、ほっとした。

 

時間は過ぎて、再出発の日が1月12日に決まった。

よし、出発だ…。

 

ところが、前々日の1月10日にアクシデントが起きる。

帯状疱疹。

右の脇腹に疱疹が出来て、激しく痛んだ。

走り込みの際に気がついた。

 

病院での判断はNO。

少々の休養を宣告された。

うーん…複雑。

 

1月15日、成人式の日。

僕は絶対に式には行きたくなかった。

我慢しなくてはいけなかったのだが、後輩に誘われた練習試合の人数あわせ、

当然、試合に行った。

 

楽しかった。

ボールを蹴ることが幸せだと改めて感じた。

 

1月29日、3度目のブラジルへ出発となった。

某整骨院の先生には非常にお世話になった。

腰痛の治療が主だったが、その他にも色々なケアを説明してくれた。

 

決して一人で実現させたブラジル行きではない。

母親をはじめ、色々な方にお世話になった。

もうだいぶ経ちましたが…改めて感謝である。

 

当日、

母親と二人で空港に着く。

見送りに来てくれた友人がいた。

3回目の出発ということで、僕はいなり寿司をコンビニで物色していた。

サッカー雑誌、週刊少年ジャンプ。

向こうに持っていったら、少しは日本人に喜んでもらえるだろう。

友人の織田が、レジに立つと『これぐらい払うよ…』と払ってくれた。

 

鹿島アントラーズのブラジルキャンプの出発と重なるようだった。

選手達と大きな鹿島アントラーズの荷物。

何故か僕は惨めさを感じていた。

 

出国手続きに向かう。

エスカレーターを下りるときに、僕は振り返ってしまった。

母親と織田が手を振っていた。

 

振り返らなければよかった。

 

初めて誰も話が出来る相手がいない状態で飛行機に乗った。

隣にどんな人が座っていたかも覚えていない。

不味い機内食。

半分以上残してしまった。

 

ロスアンゼルスのトランジットで、織田の買ってくれたいなり寿司を食べる。

鹿島の選手達が目の前にいる。

サインなんか欲しくなかった。

でも、何か彼らとの間に差を感じて悔しかった。

 

途中、ペルーのリマを経由し、サンパウロへ到着。

空港では、税関で荷物を開かれて1時間以上待たされた。

 

気温10℃前後の日本から、30℃のブラジルへ。

今度はまた夏だ。

玉木さんがにっこりと笑顔で向かえてくれた。

玉木さんのお宅でお昼ご飯をごちそうになった。

日本へ到着の電話をしたが、涙がこぼれそうになった。

今思えば、屈辱を覚えて日本に帰り、またブラジルに来たわけだ…また屈辱と戦わなくてはならないと思うと、何とも言えない気持ちだった。

当たり前だけど、泣くわけにはいかなかった。

 

続く