管理人のブラジル回想記

No4

 

さて、ブラジル行きが決まったところまでお話ししましたが、一緒にボールを蹴っていた日系人、ジーバとヒロイシの言葉が、僕のブラジルサッカー感を変えていました。

ブラジル=個人技

個人技=ドリブル

間違いではありませんが、あっさり『違うよ』と言い切られてしまいました。

 

ジーバが足を見せてくれました。

『ボール離さないとこういう足になってしまうよ…』

文字通り削られたスネ。

ボールを持っていたらみんな激しくボールを奪いに来る。

カヴァーロ(馬)というスラングで形容されるのだが、本当に削りに来られてしまう。

『日曜日はお昼ご飯も食べずにサッカーやってたからね…夕方お母さんに呆れられたよ…』

ヒロイシは笑って答えた。

 

僕の美しいサッカー、フットサル論はここから思いついたものです。

激しいプレッシャーから逃れるには、タッチ数を減らしたボールポゼッションから、孤立したときに初めて個人技という考えは、今でも変わりません。

激しいプレッシャーを、リスク回避で省略してしまうのは抵抗があります。

 

そして…1995年4月27日がやってきました。

観光ヴィザとはいえ、一ヶ月のブラジル。

偶然空港で知り合った、同い年の日本人留学生が飛行機では一緒でした。

23時間の長旅…想像もつきませんでした。

 

初めての海外。

出国手続きで、『ああ、海外へ行くんだな…』と感じ、ロビーでは少々寂しかったのを覚えています。

離陸後の機内食は不味かった…。

 

そして、トランジットでロスアンゼルスへ。

ああ、ここから更に14時間…。

 

続く