管理人のブラジル回想記

※実話を過去の日記に基づいて回想しております。

 

No46

 

本格的な練習と言ってはほど遠いが、徐々に練習らしいことが始まった。

クラブの隣が体育大学で、その敷地内に体育館があった。

体育館でフットサル。

選手は日本人3人と、ハットが連れてきた近所の奴ら。

今思えば、この時に色々考えれば良かったなと思うけれど、そのときは漠然とミニゲームに講じただけだった。

 

体が起きていないというか…まだまだだなあとそのとき思ったのは、たかだか1週間まともに練習しなかっただけで体力が落ちてしまったこと。

クーパー走で3000メートル走ることが出来なかった…これはショックだった。

しかし、この頃腰痛がひどく、無理したくもなかったので、多少さぼり気味だった感は否めない。

 

前に日本人がいたこともあり、たくさんの本が置いてあった。

暇つぶしには最高だったのだけれど、これも2週間ほどで読み尽くした。

ぶっちゃけた話、またこのクラブもプロの活動がないのなら、ユーラカンのほうがマシだと思っていた。

試合もない、目的もはっきりしないまま練習。

別に僕は外に遊びにも行かなかったし、毎晩のように他の日本人達と『このクラブ、ヤバいよね…』と、他のクラブへ移動することを相談していた。

たまたまそのときに斡旋業者の代表者の人が日本から来て、偉そうに色々話していた。

しかも、僕に対しての接し方に疑問を持った。

僕は本気でプロになりたくてブラジルに来たのに、所詮お客さんだというような態度。

真剣な話も逸らされる…逆にいえば、それなら俺も話を聞くもんか、と思った。

 

数日後、何かの大会だということで、試合だという。

突然だが、試合という響きはいいもんだ。

どうやら、勝てばその地域の1部リーグに昇格できるという試合だったらしい。

 

いざ試合になると、僕が渡されたユニフォームは16番。

他の日本人選手には、2番、5番、7番、と、スタメンのユニフォームが渡されていた。

紅白戦をしたわけでもない。

練習だって、基本練習と2タッチゲーム。

そんななかで何を判断できるのだろう?

僕は爆発した。

試合は前半で勝負がついていたこともあり、後半出場した僕が手を抜こうが、関係なかった。

試合後、クラブ役員のジェニーニョに対して、不満を爆発させた。

『なめてんのか?このクラブとは今月でさよならだ!』

 

クラブに帰って出来たことは、誰もいないスタンドで、ひたすら涙することだけだった。

1996年、3月17日の出来事。

 

続く