管理人のブラジル回想記
※実話を過去の日記に基づいて回想しております。
No51
短期留学生が日本に帰った頃、最低でも週2試合のペースで練習試合が組まれるようになった。
練習試合の他にも、遂に公式戦が組まれるようになった。
地域のアマチュアの大会。
プロ選手も3人まで参加できるということで、今までも一緒に練習していたハットやジャバといったプロ選手も大会に参加できることになった。
そんな中、プロの試合の前座のオファーがあったという。
ウニオン・クルゼイレンセ対サンジョゼのジュニオール。
サンジョゼかぁ…という感じだったが、試合ができるならいいじゃん、という気持ちのほうが強かった。
4月4日、練習試合。
結果は0−0だったが、左足を思い切り蹴られ、大きく腫れ上がってしまった…。
翌日の練習はオフだったため、自主練も休んだ。
4月6日、サンジョゼに出発。
サンジョゼには2時間半ほどで着いた。
そこには、何とウニオン・クルゼイレンセのプロ選手という見知らぬ選手が15名ぐらいいた。
他の土地で練習し、サンパウロ州選手権には、クルゼイロの街にやってくるという。
こちらからは日本人4名、プロ選手1名の参加。
試合前、対戦相手がジュニオールからジュベニーウに変更になったという。
要するに、カテゴリーが一つ下がったということ。
それでも、少々だが、観衆の前で試合をするわけで…。
対戦相手には、前にいたジャバクアラで一緒だった日本人、M君がいた。
ホテルカラベラスの部屋の鍵を破壊した…彼である。
少々話したら、自信満々に、『試合に出るよ』と言っていた。
試合開始。
やはりプロとジュベニーウでは差がある。
開始10分で2−0。
前半35分ごろ…僕が呼ばれた。
『アケシメント…(ウォーミングアップ)』だ。
フィジカルコーチのブリットとベンチを出たとき、飛び上がるほど嬉しかった。
そして、その時は来た。
会長のアンドレが、監督に頼んでいたことはわかっていたが、ピッチに飛び出していく瞬間、鳥肌が立ったのを覚えている。
プレーはといえば、サンジョゼの選手にタックルにいこうとしたら、体に当たる前に演技で転ばれたが、審判はよく見ていて、もちろんノーファール。
ボールに絡んだのは1回だけ。しっかりと左サイドの選手にパスをつないだ。
ハーフタイムで交換したので、10分弱だったが、会長の粋な計らいに感謝だった。
怪我をしていた左足も…痛みなんか忘れていた。
他の日本人選手も、後半に少々だが出場機会を得た。
ちなみに、サンジョゼのM君は…最後まで出場機会はなかった。
5−1。当たり前のスコアで勝利。
その後の試合、サンパウロ州選手権、サンジョゼ対キンゼ・デ・ピラシカーバの試合、
スコアも、内容も覚えていない。
ただ、観衆の興奮や、スタンドの雰囲気に対して、ピッチに立った喜びのほうが大きかった。
翌日もオフ。
ただ、グランドに出ると、練習試合に人が足りないから、と知らないブラジル人に声をかけられる。
林と顔を見合わせた次の瞬間…『やるしかないでしょ!』とOKした。
これが間違いだった。
左足の怪我は思ったより深刻だった。
小さなくぼみに足が入っただけで、捻ってしまう。
結局足を引きずってプレー。
スルーパスを一本通したのみ。
見せ場なんかなく、不本意だった…。
アイシングする足を見て、『ああ、甘かったな…』と実感した。
サンジョゼとの試合は、あくまで出場時間が少なかったからできただけ。
しかし、翌日からの練習を休もうとは思わなかった。
続く