管理人のブラジル回想記

※実話を過去の日記に基づいて回想しております。

No52

 

ここまで回想記を書いてみて思うことがいくつかある。

一つが、ブラジルに行けたことに対しての母親への感謝。

そして、最近の…と言っては失礼だが、この当時の僕と同じぐらいの歳の選手に対して感じる物足りなさだ。

この当時の僕は20歳。

市川から来ていた林は当時19歳、北海道から来ていた北西も19歳。

富里から来ていた小高は18歳だった。

 

確かにその当時はブラジル留学ブーム的なものがあった。

逆に、当時の日本はブラジル人の出稼ぎブームでもあった。

 

共通する面がある。

将来に対しての希望である。

 

ブラジル人達は、JAPANマネーでブラジルで家を買うとか、そういう希望なのかもしれない。

当時の日本人留学生は、ブラジルでプロ選手になる希望を持ってブラジルに行っていた。

僕もその一人だった。

 

最近はそういう目が輝いているというか、ギラギラしている奴にお目にかかったことがない。

どこか現実を見てしまっている。

実際に現実を見せなければいけない面もあるのだが、それはまた別。

 

何が言いたいかと言えば、こんなに恵まれている時代なのに、夢を持てないことは不幸だと思う。

 

今でも思うのが、この頃の負けず嫌いさは異常だったなということ。

試合で負けるのもそうなのだけど、僕は身体が小さいし、身体能力も高くない。

だから、物理的に無理なことで負けた方が、悔しさは倍増し、やり場のない怒りや悔しさを溜めてしまっていた。

もちろん、今でもその傾向は強いのですが…。

あくまで僕個人の話。それが正しいとは決して思いません。

 

よくプロになりたいという話をされたり、ブラジルに行きたいという話をされたことがあるけれど、基本的には『こいつはダメだ…』と思ってしまう。

残念ながら、良い意味で期待を裏切ってくれた例も一つもない。

 

まとまりませんが…。

 

 

さて、回想記に移ります。

 

怪我といっても無理をすれば出来る範囲と判断して、練習を休むのはやめた。

サーキットだったり、ダッシュだったり、フィジカルトレーニングは尚更休みたくはなかった。

ブラジルのフィジカルトレーニングは、基本的にマシントレーニング等は行わない。

実際に、このウニオン・クルゼイレンセや、前にいたユーラカンにも、少々のトレーニング器具があった。

しかし、チームの練習では利用しなかったし、自主練しようとトレーニング室に行こうとすると、だいたいストップがかかる。

だったらトレーニングルームなんか必要ないじゃん!と思うのだけど・笑

 

実際のところ、筋トレに関しては、普段の練習で十分と判断されるらしい。

トレーニングルームは何の為?かと言うと、シーズン前の自主トレや、怪我人のリハビリで使うのが主な目的らしく、サーキットやカミニャーダ(長距離走)、ダッシュなどのフィジカルトレは、サッカーの動きそのものなので、効果が高いというわけだ。

今になって思えば、回復の遅い遅筋を使う長距離走は火曜日に行うことで、土曜、もしくは日曜の試合の際には回復しているという風に、非常に合理的。

だから、回復も比較的早い速筋のトレーニングであるダッシュは木曜と週の後半。

両方の要素を備えたサーキットトレーニングに関しては水曜日に行っていた。

今思えば、本当に合理的だった。

 

1日に2回練習、それが毎日。

そんな生活だから、幸せでないはずがなかった。

 

続く