管理人のブラジル回想記

※実話を過去の日記に基づいて回想しております。

 

No57

 

悔しい思いはしたけれど、ブラジルに来なければ味わえないことだっただろう。

未だにあの日のことを思い出すことがある。

ブラジルに何をしに来たのか?

フッチボウをしに来た…それ以外に答えはない。

 

しかし、今思うことはそれだけではなかったということだ。

 

ウニオン・クルゼイレンセのある街、クルゼイロSP(サンパウロ州の略)。

田舎町だし、ここにもファベイラと呼ばれるスラム街もなかった。

前にも書いたが、1ヶ月もすれば、街の人達とだいぶ親しくなれた。

 

月曜日は基本的にオフだった。

その午前中は朝食を摂り、また寝る。

昼食後に街へ散歩に出かけるのが日課だった。

 

散歩といっても行くところは決まっていた。

 

スーパーマーケットとスポーツ店。

八百屋と郵便局。

まあ、そんなところだ。

 

街を歩けば声をかけられる。

何故か僕はブラジル人の女の子にモテた。

日本人4人で街へ行ったとき、数人の女の子と話をしていると、僕の耳元で、

『…みんないい男だけど、あなたが一番だわ…』なんて言われたこともあった…。

光栄なのでしょうが、日本では…皆さんご存じの通りですから・笑

 

ブラジルのスーパーでは、バッグ等の荷物は入り口で預けなければならない。

万引き防止。非常に合理的。

数件のスーパーを回り、どこが一番安いか?と調べるのもまた楽しかった。

 

買う物はお菓子。

パンに塗るピーナッツクリーム。

オレンジとかメロン。

粉のジュースとか、ペットボトルのコーラかグァラナ(ブラジルのグァラナは美味しいですよ)。

 

結局はオフなのに夕方になると自主練をしていた記憶がある。

 

普段は午前中が9時から11時まで練習。

その後に12時半ぐらいまで自主練。

昼食後昼寝して、3時半から5時まで練習。

で、7時過ぎまで自主練。

 

今だから言えるけれど、僕は誰よりも遅くまで練習することが重要だと考えていた。

個人個人の課題があるだろうし、みんな色々な課題をこなしていた。

僕は、杭を使ったドリブル練習ばかりしていた記憶がある。

 

早く食事しろとハットに催促されたりしたっけな。

 

時々思い出すけれど、一人食堂で冷めた食事を食べていた。

そんな時、ある種の達成感があった。

 

僕がサッカーの指導を始めた頃、自主練をしない選手に対し苛立ちを覚えたことがあった。

今思えば十人十色。

それは僕の価値観でしかないから。

 

でも僕は、その時の冷めた食事で今の僕がいると思っている。

冷めていても美味かったから。

 

続く