管理人のブラジル回想記
※実話を過去の日記に基づいて回想しております。
No63
怪我はたいしたことなかったが、練習試合を組むということで、大事をとって別メニューで調整。
このころから練習試合がどんどん組まれるようになり、公式戦が審判のストライキで中断されているので、僕にとっては嬉しかった。
5/22
クルゼイロ市のセレソン・ジュニオール(20歳以下の選抜)と練習試合。
スルーパスはオフサイドにかかりまくる。
僕自身、納得のできない試合。
結果は3−4で敗れた。
その日、お世話になっていた玉木さんが、サンパウロからやってきた。
日本からの手紙は玉木さんのところに届くことになっていたので、その日は2通届いたと日記には書いてある。
玉木さんには本当にお世話になった。
毎日の練習に疲れ切っていた矢先、サンパウロで買ってきた日本のカップラーメンを持ってきてくれたときは神様に思えた・笑
翌日、クルゼイロ市のセレソン・インファンチウ(15歳以下の選抜)と試合。
これが意外にレベルが高く、驚いた。
同じウニオン・クルゼイレンセのユニフォームを着てプレーした選手も15歳前後だったのだけれど、何とか2−1で勝った。
勝って当然。
僕がよく話す『横綱相撲』ができなくてはいけなかったのに…。
翌日の練習でちょっとした事件が起こる。
午後のドイストッキ(ツータッチゲーム)の時から、ブラジル人選手がうっとうしかった。
とにかく野次る。いつも以上にうるさくて、僕はプッツン来てしまい…
練習終了後、更衣室の前で、切れた僕は蹴りを入れた。
相手も殴り返してきたが、僕はよけて応戦する…気がついたら周りは止めに入っていた…。
結局ハットの仲裁によって、握手して終わったけれど、今思えば何故我慢できなかったのか?
恥ずかしい限りだ。
そして…大会の再開が5/26に決まった。
その日に限っては、出場停止のため、僕は出られなかったのだが…。