管理人のブラジル回想記
※実話を過去の日記に基づいて回想しております。
No72
6/16
早朝に大型バスが迎えに来た。
メンバーとスタッフ合わせて20名ほどを乗せ、スタジアムを出発した。
いつものように赤い山やオレンジ畑を周りに見ながら、バスは走る。
ハイウェーのような大きな道に出ると、日本のように綺麗ではない道を100キロぐらいでバスは走り続けた。
2時間ほどで、有名なアパレシーダ寺院が右側に見えてきた。
いつものように、「あれは世界で2番目に大きな教会で…」と誰かが言う。
聞き飽きた。
でも、それだけブラジル人にとっては誇りなんだな、と感じた。
更に1時間半くらいで、小さなスタジアムに着いた。
バスが着いた途端、大ブーイング…アウェーだ、しかも本物のアウェーだ。
上からつばだのゴミだのがたくさん降ってくる。
薄暗い控え室に急いだ。
メンバーが呼ばれ、シャツが配られる。
ラテラウ・ジレイト(右のサイドバック)に林。2番が渡される。
5番、ヴォランチには北西。
7番ポンタ・ジレイタ(右ウイング)に小高。
そして10番、中盤の左は僕だった。
会長の行った通り、スタメンからだった。
小さなスタンドのついたピッチに出る。
当たり前のようにブーイング。
一番初めに標的になったのは林だった。
『あの日本人、頭デカいぜ〜』
そんなノリで野次られる。
林は後ろ髪を伸ばし、遠くから見ても目立つ。
『ジャポネーズ』のフレーズがかなり聞こえる。
いい迷惑だ。
でも、アウェーだ。
これが快感なんだなぁと初めて思った。
相手チームが出てきた途端、花火が上がる。
大声援。当たり前だ。
そして、試合が始まった。
前半、僕は相手の右のMFと右のサイドバックのマークに振り回された。
ホームチームのアドバンテージか、声援に応えるように猛攻を仕掛けてくる。
正直、DFだけで精一杯だった。
スペースを見つけ、右サイドにポジションチェンジしたとき、僕にボールが回ってきた。
ペナルティエリアの角、悪くはない。ドリブルを仕掛けようとしたその時だ…
…こけた。
スタンドから、独特の『hein〜!』
次の瞬間、爆笑の声がする。
『日本人には10番は重いからこけやがったぜ!』
スタンドの野次がはっきり聞こえた。
そうかもしれないさ…。
その後も相手選手をひたすらマークするのに終始した。
ハーフタイムのハットからの指示も、正直覚えていない。
後半15分くらいに、僕の名前が呼ばれた。
交代。
悔しい反面、納得する自分がいた。
この日特別にホペイロに呼ばれた近所のオヤジが控え室で待っていた。
『シャワー浴びろよ。良くやった…』
確かに、相手選手を押さえたかもしれない、その事に対しての賛辞だろう。
どっとこみ上げてくる疲労感。
僕が控え室から外を見たとき、試合は0−1のビハインドから、UCEが1点を返した瞬間だった。
その後、すぐに小高が控え室に戻ってきた。
守備陣の林と北西はフルタイム出場。
他の3人にも笑顔はなかった。
北西が呟いた。
『今までで一番強かった…』確かにそうかもしれない。
試合は1−2で敗れたが、スコア以上の差を感じていたのは、僕だけではなかったということだ。
その街の計らいで、食事をレストランでごちそうになる。
ブラジル人特有のバカ騒ぎ。
バイキングだったので、僕も腹一杯食べた。
バスでの帰り道で、アパレシーダ寺院を再び見た頃、眠ってしまったのを覚えている。