管理人のブラジル回想記

※実話を過去の日記に基づいて回想しております。

 

No73

 

セレソン・クーニャとの試合の翌日、ダッシュとランニング、午後はリフティング等の自主練。

 

夜には、前に日本語を教えて欲しいと言っていた女の子の家に林と行くことになっていた。

レチーシアという金髪の綺麗な子だった。

ブラジル人にしては細身、小柄だが、フライトアテンダントを目指しているという。

英語は必須らしいが、それ以外に日本語が多少でも知識になれば…ということだった。

 

林と僕は、普段はハーフパンツにTシャツ、あるいはコレイチ(ビブス)とか、本当にみすぼらしい格好・笑、をしていたのだが、暗黙の了解…で、少々綺麗な格好で出かけた。

レチーシアの家に着くと、『今日はどうしたの?パーティでもあるの?』と笑われた。

 

日本語を教えるというのは非常に大変で…発音だとかそんなものはどうでもよくて、文法だとか、そういうのも含めて…難しすぎた。

レチーシアは、日系人の方に簡単な日本語のテキストを作ってもらっていたのだが、その日本語が…

要するに、移民の頃の日本語なので、『え?』と思う物ばかり。

例を挙げると…

航空券の値段→船賃

という具合だ。

 

まあ、簡単に、昔の日本語だからもう日本では使わない表現だよ…と教えておいた。

その帰り道…林と、『日本語を教えるなんて、ブラジル人がポルトガル語を教えるより難しいね』と、とぼとぼ歩いて帰った。

それからは週に1回だけレチーシアの家に行くことになった。

レチーシアのお母さんの意向で、少々の授業料を…と言われたのだが、『とんでもない!』と断り、おやつとコーラという謝礼で、とレチーシアは笑っていた。

 

気がついたら、クルゼイロの街に、僕らは馴染んでいたし、僕らもクルゼイロが大好きだった。